つらい会社員時代

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人見知りで出来の悪い営業マン

僕が看護の世界に入って10年以上経ちました。看護師になって良かったのか悪かったのか。
看護師になる前に、土木製品を扱う会社で営業マンとして働いていました。僕の会社員時代はと言うと、今では思い出したくないくらい本当に出来の悪い営業マンでした。

営業マンはお客さんと良好なコミュニケーションを取らねばなりません。今では少し人と話をするのが上達したように思いますが、当時の僕はとにかく人と話すのが苦手。人見知りでもあり、毎日お客さんの所に行くのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。だって言っても話す事ないし。お客さんが気をつかってお茶を出してくれたりするのですが、面と向かって気の利いた事一つ言えないのです。「こいつ何しに来たんや!早く帰れ」って思われてただろうな。本当情けなかった。

それでも救われたのは、僕の仕事はルート営業でした。ルート営業というのは、新規のお客さんを見つけて商品を売るのではなく、ある程度固定客がいて注文をくれるので、時々顔を出しておしゃべりするという感じ。なので、よくテレビで見るような棒グラフで営業成績を他の職員と競うような感じではなかったが救いでした。

移動初日で始末書

若かったのもあるけど、人とコミュニケーションを円滑に保つことのできない僕は、職場の中でも少し、いや、だいぶ浮いた存在でした。先輩にはめちゃくちゃ叱られました。毎日出社するのが嫌で。最初に配属されたのは東京支店でしたが、東京支店では使い物にならず、東海地方の営業所に飛ばされることが決まりました。僕以外にも移動される方がいたので、僕も送別会に呼んでもらえました。お酒がめちゃくちゃ弱いにも関わらず、ストレスでその夜はかなりの量飲んだのだと思います。

送別会が終わってから、一人で東京駅から家まで電車に乗って帰ろうと思い東京駅まで歩いて行ったところまでは覚えていたのですが、なんと、それ以降の記憶が消えてしまうのです。目が覚めると朝になっていました。時計を見ると6時前。家に帰らないとと思い立ち上がった瞬間、カバンがないのに気づきました。そのカバンの中には、なんと会社のパソコンが!!置き引きにあってしまったのです。東海地方の新しい職場に配属になった当日から始末書。もう最低の営業マンですよね。恥ずかしい。

書いていてつらくなってきたので、今日はこの辺で終わろうと思います。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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